音楽の時間にしっかりと歌を歌わせるために




音楽の時間とは・・・

「図工・家庭科」と「音楽」では、真面目に受けられない子ども達の態度は大きく異なります。

⑧図工や家庭科など専科の時間の在り方で、 説明したように、 「図工・家庭科」は、騒ぎながら活動しています。だから時間はかかっても、内容的には雑であったり稚拙であったりしても、作品は完成します。

一方、音楽では、そのような子ども達は活動しません。(歌を歌いません。もしくは歌っていると称して、口先だけで歌っています。ひどい時にはリコーダーや鍵盤ハーモニカさえも弾かない場合があるのです。)

その結果、 集中力を欠き、 騒ぎ始めてしまうのです。

騒ぐ ・落ち着きがないという結果は同じでも、片や活動している、片や活動していないと、図工と音楽では、その内容は全く違うものになっています。

音楽の授業は、個人学習であると同時に、一つの歌や曲を全員で作り上げる共同作業でもあります。図工の個人作業や家庭科のグループ活動では学ぶことができない“集団での協力”や“全体の中での1人の努力の大切さ”を学ぶことができる授業なのです。

これは、学級経営のねらいそのものではありませんか?一致団結して活動するときに、「俺はやりたくない」「私は別にしなくてもいい」「みんなでやれば…。」「一生懸命やってバカみたい。」と言う子がいたら、クラスの雰囲気は一気に悪くなるでしょう。

そのような芽が、学級経営と近い活動である、音楽の授業で見られるのなら、あなたは放つておけますか?




とある事例

音楽の時間で、このような事件が起こりました。

「先生、鍵盤ハーモニカ指導をしていたら、A君が 『できない』『無理だ』『不可能だ』と騒いだので、残して練習させようとしました。するとくるりと背中を向けて逃げ出そうとしたのです。どうにか引き留めたのですけど…。」

これは音楽の授業だけの問題ではありません。由々しきことだと思い、即座にA君に指導しました。

「君のしたことはどういう意味があるかわかりますか!」…意味づけをする

①「いやなことはしない。苦手なことはしない。」…放っておくと 今後、あらゆることで伸 びません。

②「大人の言うことはきかなくてもいい。」…学ぶことができません。力はつきません。

③「専科の授業をなめている。専科の授業を甘く見ている。」… 全ての場面で努カしつくせな い人間になります。

④「相手によって、行動の仕方を変えている。」…倫理感で動くのではなく、好き嫌いや強弱で動くようになります。

彼の行動にはこの4つの意味があることをA君には伝えました。次はその背景を探ります。

「去年までいた音楽の○○先生のときもやったことがあるよね。去年の担任の先生の言うこともきかずに、逃げ出したり、さからったりしていたでしょ!!」…背景にあるものに気づかせる。

A君は泣きながら、うなずきます。こういうことは何の前触れもなく、いきなり起きたりしません。今回だけだとか、音楽の授業だけだとかということは絶対にありません。必ずその裏には、これまでの積み重ねがあるのです。その背景を見逃してしまうと同じようなことは、別なときに、違う子からも起きてくるでしょう。

さっそく去年の状況を、他の子達に聞いてみました。そうすると、「去年はひどかった。たくさんの子が逃げ出したり、言うことをきかなかったりしました。」「私たちも注意しなかったし、しかたがないと思っていました。」

ここまできて、ようやく効果的な指導を行うことができます。

①A君に対する適切な指導を改めて行いました。今後の活動の仕方を考えさせます。

②それを反省文2枚にまとめさせました。

③学級指導をしました。去年まで他にも同様なことをしてきた子がたくさんいたことが原因の一つであり、それを見過ごしてきたことも理由であることを話し、クラスの問題であることを伝えました。

④一人一人私の前で鍵盤ハーモニカを完壁に演奏してもらいました。やらずに逃げていた子ども達に対する指導と同時に、無理だと思っていたことでも必ずできるようになることを理解してもらうためです。その日は演奏できるまでは下校させませんでした。(とは言っても、長くても20分程度の練習です。全員できるようになり、自信になったようです。)

音楽の授業を見る

専科の授業で起きた事件のほとんどは、クラスの学級経営の不備が原因です。それを理解しないで、専科の授業中の出来事は専科の先生に任せる、または話を聞いて簡単に注意するだけでは、いつか自分の問題として降りかかってきます。もしくは、もうそのような状態になっていることでしょう。

もし、良いクラスを作りたいと思っているのなら、次の音楽の時間から、子ども達がどういう 状態で音楽の授業を受けているか観察してみてください。最初の5分でも十分です。気になるようでしたら、その他に授業の中間(2~3分で結構です)も見てみるといいでしょう。

このわずかな時間を惜しんで、学級事務等にいそしんでいるようでしたら、指導は後手にまわります。気がついたときは、修復・改善に大きな時間を要することになるかもしれません。学級を立て直すために、空き時間に学級事務ができなくなるほど忙しくなることでしょう。

また、音楽の先生とは、密接な連携をとってください。普段の授業以外にも、音楽会、学芸会、記念式典、卒業式など、音楽は大きな学校行事の中で非常に重要な位置を占めています。日頃から連携を深めていくことで、学級経営は言うまでもなく、それらの行事でもさらに効果的な指導をすることができるでしょう。

卒業式の練習などで学年全体で音楽の練習をしているとき、あなたは音楽の先生に全て任せて教室や職員室で学級事務をしていませんか?

学年全体指導を音楽の先生がしているのなら、少なくとも1人は学年担任がつくのは当然のことです。想像してください。1人で60人~100人の子ども達の指導をできますか?ましてや、音楽の場合はピアノ伴奏をしながらの指導が多くなります。児童全体の様子を把握できない場合も多いのです。担任が一人つくだけで全く違うのです。

担任が、専科の授業に関わり、それに対して、評価をすることは非常に重要なことなのです。最初から最後までいる必要はありません。ほんの数分でいいのです。子ども達の活動の様子を見てください。子ども達はみんないい顔で、大きな口で、歌を歌っているでしょうか。だみ声でも、音が外れていてもいいのです。音楽の先生の指導に従い、一生懸命に取り組んでいれば、必ず上達します。それをクラスにもどってから話してあげればいいのです。そして、一生懸命授業を受けていたことをほめてあげてください。

音楽の先生にとっては、それだけで大きな支援になるのです。音楽(専科全般)は、専科の先生に任せて、担任はノータッチではありません。専科の授業がうまくいかないのは、 担任のサポートが足りないと考えてください。担任の前ではきちんとしていても担任以外の前ではきちんとできない…、それは高学年の態度ではありません。そういう態度が見られたら、即座に指導をすることも担任の責務なのです。

高学年の音楽

「高学年は、恥ずかしがって歌が歌えなくなります。」

とまことしやかに話す先生がいます。だから音楽の授業がうまくいかないのは仕方がないことであると考えているのでしょう。

音楽専科のせいではないとなぐさめているつもりなのでしょうが、実際は、きちんと歌わせるために担任としてどう指導すべきかという学級経営を放棄している発言です。

私は高学年になってから恥ずかしくて歌が歌えない子に会ったことがありません。(もともと歌わなくて、高学年で、さらにひどくなった子にはたくさん出会っていますが一。)

低学年からきちんと音楽指導を受け、真面目に日常生活をすごしてきた子は6年になろうとしっかり歌を歌います。音楽だけでなく、○○だからできなくても仕方がないという考えをもっている間は、指導の放棄をしていることになるので、教員としての力は決して伸びないでしょう。

「音楽で大きな声で歌が歌えるクラスは、心が素直で、恥ずかしがらずに取り組めるクラスだから、雰囲気もいいし、楽しいクラスだよね。このクラス、最高のクラスだね。」

「歌を歌うとき、のどを押さえて、俺はがんばっているけど声が出ないとアピールしてるね。それって、ボールを投げると腕が痛いとか、走ると腹がいたいとか、勉強すると頭が痛いとかと同じで情けない姿なんだけど…。これまでサボっていた、努力しなかったことをアピールしているだけなんだけど。」