図工や家庭科など専科の時間の在り方




専科の時間にしゃべったり立ち歩いたりしないで、 静かに授業をさせるために

図工の作業や、家庭科の実習の時間は大きな声を出したり、意味もなく立ち歩いたりしてもいいと考えている子が多く、騒然としていることも少なくありません。しかし、落ち着いたクラスやまとまっているクラスはそういう時も算数や国語、社会などと同じように、静かに集中して行っています。

専科の授業は楽しいから、少しくらい騒いでもいいと担任でさえ思っているふしがありますが、それは全く誤った考えです。

特に図工は、作業のときに騒音がでることがあり、だから、大きな声を出していいと考えているよ うです。しかし、学級経営がしっかりしているクラスは、作業の音しか聞こえません。一人一人が作業に集中しているのです。図工は基本的に共同作業はないので、しゃべらないのが当たり前なのです。

一方、家庭科の調理実習は、グループ活動や協力作業となり、話し合いや確認が必要になります。しかし、そういうときでも、大きな声など出しません。自分たちの班の中だけに聞こえる声で互いに確認し合います。家庭科室内で他の班を飛び越えで大きな声で質問したり返答したりなどしている様子は正しい授業風景とは言えないでしょう。

専科を大切にできないクラスは他の学習も大切にできない場合が多いです。専科の時間に平気で大きな声を出す子は、クラスの授業でも集中力を欠き、騒いでいる場合が多くありませんか?

また、中学に進学すると全て“ 専科”になります。それに、中学の先生は各教科専門であり、小学校以上に個性的な方や癖のある先生がそろっている場合があります。どんな授業でも、どんな先生でもきちんと静かに受ける習慣をつけさせるのは、小学校の教員の責務なのです。

それができないと中一プロブレムと言われるように、中学の授業に適応できない子になってしまうでしょう。

児童への声掛け例

どうして図工の時間はしゃべってもいいと思っているの?算数でドリル学習をしたり、国語で漢字学習したりするときは、静かに取り組んでいるじゃないですか。図工の時間は遊びの時間ですか?それとも図工の先生の前では、うるさくしてもいいと思っているのですか?高学年で専科の時間が入ってくるのは、内容が専門的になるという理由の他に、どんな教科でもどんな先生でもしっかりと取り組む姿勢が育っているからという理由もあるのですよ。あなたたちはその力をもっているはずですよ。

図工や家庭科、音楽は、いわゆる国・社・算・理と違い、受験に関係ないとか、学力が上がらないと思っているのですか?受験の結果がよい子や学力が高い子は、間違いなく図工・音楽・家庭科もよくできています。どんなことでも努力をする姿勢や真摯に取り組む習慣がついているからです。人や仕事を見て、好き嫌いで判断して、力をセーブしたり、ふざけたりする人は、結局はどこかで必ず手を抜く習慣ができるから、力が伸びません。

中学校は、すべて“ 専科”です。担任の先生でないと言うことをきかないとか、気が抜けるとかでは学習は成り立ちません。また、中学校の先生は、教科のプロなので、個性的な先生や特徴のある先生が多いです。あの先生は自分に合わないとか、つまらないとか言って、授業をきちんと受けないこともあり得ません。どんな先生でも、どんな授業でも、きちんと学習する態度を小学校のうちに育てることをしておかないと、中学校で勉強ができない子になってしまいます。




中一プロブレムについて

中一プロブレムとは小学校を卒業した後、中学校のシステムややり方に適応できずに中学一年が問題行動を起こしたり、学力の伸び悩みや低下が見られたり、登校拒否などを起こしたりすることです。

その解決方法として、現在は小中一貫、小中連携の試みが多く行われています。その効果は現在賛否両論あります。(お金の面ではメリットがありますが、児童・生徒への効果の面では成功・失敗例が多数あるようです。)

しかし、もっと簡単に中一プロブレムを乗り越えさせる方法があるのです。

壁が高いなら、それを低くるのが、小中一貫の考えです。しかし、壁が高いなら、それを乗り越えさせる力をつけさせればいいのです。どんなことにも負けない、努力をする、正しい行動を選択できる子ども達に育てればいいのです。人間的に大きな成長をさせるのです。

小中一貫の考えは”なだらかな接続”という言葉に象徴されるように、小学校と中学校の敷居を低くしようとしています。でも、本当にそれで子ども達の力を伸ばすことができるのでしょうか。

社会に出れば、もっと高い壁が立ちはだかっています。その壁を低くしてくれる人はいません。自分の力で必死でよじ登っていかなければならないのです。その力を育てずして、壁だけを低くしていいのでしょうか。

私たち小学校教師の役割は、まさに中学校という壁を楽々乗り越えられる力を育成することではないのでしょうか。

少し前までは中一プロブレムという言葉はありませんでした。これは、何を意味するかというと、近年の小学校教育の低下を示していると思います。

小学校教育の在り方を多くの教員が誤ってとらえている、または分かっていても実現できていないと言ってもいいでしょう。小学校教育の在り方とは何でしょう。それを考えるには「小学校は、どうして学級担任制なのか」、「中学校はどうして教科担任制なのか」を理解する必要があります。

きちんとした理由があるのです。

小学校は、学習はもちろんですが、基本的に正しい生活習慣や道徳的な行動、規範意識を重点的に学ばせる場でもあります。だから1人の教師が学級にずっといて、常に子ども達に目を配り、適切な指導、ぶれない指導をする必要があるのです。道徳的な考え方や行動の仕方、正しい態度や習慣を身につけると、学習の仕方もよくなり、学力も上がります。努力も怠りません。困難にも立ち向かうようになります。心や態度を育てるには、教師が煩雑に交代する教科担任制より、学級担任制がふさわしいのです。

一方、中学校は、それらの基本的な生活習慣を身につけた生徒に、より高いレベルの知識・技能を与えるのです。中学の先生は教科のプロなのです。より高度な学力を与えるための教科担任制なのです。生徒指導も重要ですが、小学校でしっかりと基本的な生活習慣や社会規範を身につけてきている生徒なら、大きな問題は起こさないのです。

あいさつもできない、話をじっと聞くこともできない、すぐに私語をする、手いたずらがやめられない、すぐにあきらめる、努力を嫌がるという子が、中学校にいったら、どうなるかは容易に想像できるでしょう。

だから、いくら小中一貫を声高に叫んでも、私たち小学校教員が子ども達の心を育てることができなければ、小中一貫の考えは、「絵にかいた餅」になることでしょう 。

私たち小学校教師の役割は、中学・高校教育だけでなく、今後の日本に大きな影響を与えています。