学習意欲を高めるための指導

私は、学習意欲が高い子は授業中に発言が多い子だと思っています。

「エッ?それでは、ノートはばっちりとっているし、態度も非常によい。理解もよくできている子なんだけど、発言は少ないという子はどうなの?」と思われたでしょうか。

私の中ではその子は“学習意欲は高い”という範疇には入りません。

それは、私の中で“学習意欲の高さ”の定義がきっちりと決まっているからです。その定義に合わせて、授業の構成や内容を決めているから、それに合わせられない子は、“学習意欲が低い子”になってしまうのです。

あなたは「意欲」をどのように定義していますか。もしあなたが、一言もしゃべらずに学習していても、理解していれば、ノートをしっかり取っていれば、「学習意欲」が高いと規定しているでしょうか。その場合は、あなたが考える「意欲」を自分なりに定義してみてください。それだけで授業の仕方が変わるはずです。




学習意欲の定義

私は「意欲」を次のように定義しています。

『誰かからの指示があったから行うのでなく、自分の意志で熱意をもって取り組むこと。』

そういう子は次のような行動をします。

①自分から進んで行動する。

②だから間違いがあっても当たり前と考え、気にしない。(間違いさえも必要なことと考えている)

③疑問が多くなり、訊きたくて仕方がない。

④それゆえ、自分の考えを主張したり、質問が多くなったりする。

⑤やってみたい、挑戦したいと考える。(発展的なことに取り組みたいと考える)

⑥派生的なことに興味を示す。(わき道にも楽しいことがたくさんあると考える)

⑦そうなると、全く関係ないことにも興味を示す。(わき道どころでなく、新しい道を探し出す)

私の考えている「意欲が高い」子は、この考えからすると、一言もしゃべらずに黙ってノートをとって いるなどということはあり得ないのです。ノートに考えや答えが書いてある、でも恥ずかしくて、または面倒だから、発言しないという態度の子は、私のクラスでは「意欲のない」(やる気のない)子になってしまうのです。




学習意欲を高めるために

①の授業中の発言を増やす方法は、もうわかったと思います。そう、「学習意欲を高める」ことなのです。あくまでも私の考える学習意欲であり、前述した7つの特徴を備えさせることを目標としています。

発言しなさいといくら教師が授業中に叱咤激励しても、子ども達の心を根本的に変えていかないと発言しません。

同じように、いくら「やる気をだせ」と授業中に言っても、いきなり意欲など高まりません。意欲を高めるための指導をきちんと日頃から重ねていくことが重要です。

①基本的な生活習慣の徹底を行う

②授業だけでなく、全ての学校生活の中で指導する。

③一つ一つの行為に納得のいく説明ができるようにする。「発言しないのは損だ」「発言をしないのはどうかしている」等

④教師の説明や説得力がある

⑤間違いが素晴らしいことを認識させる。(間違っても先生がものすごくほめてくれる)

これらを毎日意識して行っていると、1カ月で授業中の態度は変わってきます。日に見えて発言も多くなります。初めは、先生がうるさいからとか、叱られるからとかいやいややっていた子も、みんなの前で発言することの心地よさに慣れてきてます。

まちがっても、手を挙げないことに比べれば、ずっとすごいこととわかってくれます。

また、学力や実力の向上を実感できるようになります。その結果、私が定義した「意欲」のような行動をとるようになるのです。

補足:授業研究について

そのためには、若手の先生方はどのようによい授業をしようと努力しているのでしょうか。

子ども達が夢中になつて取り組むような「楽しい」授業、「おもしろい」授業、「充実した」授業を行うためには、教師は、切磋琢磨して挑戦的な授業や工夫した授業をしなくてはならないのです。

しかし、最も挑戦でき、とんがった授業をすべき研究授業のときに、うまくやることしか考えていないのでは、決して授業力は伸びていかないでしょう 。無難な授業しかしないのなら、無難な力しかつかないのです。

研究授業の話し合いに参加して、がっかりすることが多いのは 「ここだつたら、見栄えがする」 「ここだったら、うまくできる」 という話し合いから入ることが、非常に多いからです。

本来なら、「私はこういう授業提案をしたい!」「私の思いを、授業で感じてほしい!」「私の授業をみなさんの授業の参考にしてほしい!」という強い意志や、多少の反論があってもそれを論破するような強い思いがあるのが、 研究授業であるはずなのです。「私の思いを、提案を具現化するためには、ここがいい!」が当然の発想なのです。

事前に指導書や教科書を軽く読んだだけで、どのように教材に向き合っていくかも主張できない…、批判をできるだけ少なくし、うまくやることしか考えていない…、経験だと言って、初任1年目の教師に授業提案させる…、こんなことで、授業力がアップするはずはないのです。

やりたいことをやるぐらいならと思うかもしれません。意見されるのは嫌ですし、緊張しますし、ストレスも感じるので、研究授業などなるべくしたくないと思っていましたが、 やらないと力がつかないと考えて、率先して手を挙げてやらせてもらうべきです。

私は毎年のように校内研で研究授業をしていました。それが今でも当たり前になって、だれも希望しないなら、即座に「私がやります。」といいます。他の教員は、研究授業をやらなくて済んだとホッとしてはいけません。自分を伸ばす大きな機会を逸したわけです。

もし目標としている教師がいたり、目指している教師像があったりするのなら、その理想とあなたとの距離は広がるばかりで、追いつくことなど不可能でしょう。

また、単元や教材の意味を考えず、ただそこにあるから子ども達に提供するような授業もそうです。

例えば、「さとうきびを沖縄の授業(温かい地方の学習)で食べさせた」…その意図は?

例えば、「バケツ稲栽培をした」(コメ作り)…社会で栽培をする意味は?

例えば、「社会科見学で自動車工場に行くべきと思っている」…他の工場ではだめなの?

常にその単元をする意図、その教材を使う意味、その資料を与える意味を教師はしっかりと考えなくてはいけないのです。教材や単元の意図をきちんと把握できたのなら、効果的な指導法が浮かんでくるはずなのです。

だから、教材研究はしっかりとしなくてはなりません。一番怖いのは指導書を読んだだけで半
分も理解していない、または分かった気になった場合です。

教材をしっかりと研究したかどうかを確かめるのは簡単です。その単元に対する思い(意味や伝えたいこと、疑間に思うこと)を第二者に熱く語ることができるかどうかです。

指導案の「教材について」、「研究テーマとの関連」は自分の思いをもって書けなければならないです。思いがあるのなら、1ページであろうと2ページであろうと書けるはずです。指導書のほとんどを写しているようでは、いい授業者になるなど、夢のまた夢であることに気がついてください。

指導書と同じ考え、やり方でも構わないのです。じっくり読んでください。そして、それを理解して、 自分の体や頭の中に入れてください。肝心なのはここからです。それを自分の言葉で置き換えて、狙いや教材について、再構築するのです。それがあなたの教材に対する思いや熱意になるのです。

再構築ができるようになれば、研究テーマとの関連も自分の言葉で語れるようになることでしょう 。