生命を大切にできない人は自己肯定ができない人です。
簡単にいうと、自分を好きになれない人です。関係のない人を傷つけたり、命を奪ったりする事件は残念な事に頻繁に起こっていますが、加害者は自分はだめだ、生きていても仕方がないと思っているということを報道で何度となく見たことでしょう。
自殺しようとしたが怖くて自殺できないので、人を殺して死刑にしてもらおうという理由で人を殺めたという事件もありました。
なぜ命を軽く扱うのか
命の一つ一つがかけがえのないものであり、決して軽く扱ってもよいものではないということがわかれば、小さな虫だけでなく、草花でさえも大切に扱うようになるのです。雑草一つ抜くのだって申し訳ないという気持ちをもって行うようになるのです。
どうして自分を否定すること=他者の命を奪ってもいいにつながるのでしょうか。事件を起こした人の動機や考えなど本人しかわからないことです。第三者の私がどうこう言うのもおかしなことですが、あえて理由を考えてみると…、
「自分に自信がない」→「自分は無価値である」→「存在していても仕方がない」→「自分でさえそうなのだから他者はもっと存在は軽い」→「他者はいなくてもいい」
自分をだめだと思っている人は、他者に対して乱暴な態度をとるだけでなく、他者に厳しい、冷たい、認めないという態度で接することも日立ちます。
なぜでしょうか。
自分を好きになれる理由は、自分を素晴らしいと思っているからです。人には長所もあり、短所もあります。いい面も悪い面もあります、それらをひっくるめて1人の人間として存在しているわけです。
しかし、ポジティブな気持ちをもてば、人は自分の良いところに目を向け、前向きに生きるようになります。自信をもって行動するようになります。人は、自分の存在や在り方を他者に重ねます。
「嘘をつく人」は「他の人もウソをつくかもしれない」と疑います。
「努力をする人」は「他の人も努力をすれば必ずできるようになる」と考えます。
「自分は素晴らしい」と思っている人は、「人間って素晴らしい存在だ」と考えます。
逆に「自分は何もできない」と感じている人は、「他者も結局は無価値な存在だ」と考えてしまいます。他者を見る時に、自己の在り方を相手に投影するのです。
子ども達が「先生、内緒話で私の悪口を言っています。 」と言ってきませんか?「どうして、それがわかったの?聞こえたの?」「ううん…。でも、私の方を見て話をしているから…。」
即座に確認しに行きます。「ねえ、さっき二人で何をコソコソ話していたの?」「今度一緒に遊ぼうっていう約束です。」「そのとき○○さんの方を見ながら、話していなかった?」「えっ?覚えてないけど、そうかも…。」「悪口言ったと思われているよ。 『李下に冠は正さず』ですよ。」
内緒話で悪口を言われていると思っている人は、 自分の存在に自信がない場合が多いです。(もちろん、 本当に悪口を言われている場合もあります。そこはきちんと聞きとって正しい指導をしましょう。)
“できないからバカにされている”、“きらわれることをしたから悪口を言われてる”と考えてしまうのです。自分の存在に対する自信のなさが、相手もきっと自分のことをそう思っているだろうと思わせてしまっているのです。
話はそれますが、相手の耳元でひそひそ話をすると、目のやり場に困って、視線を遠くに投げ ることはよくあることです。そこに人がいたら、無意識にその人を見ることになります。見られた人は自分のことが悪い話題になっていると誤解します。だから、私のクラスでは、ヒソヒソ話はすべて禁止になっています。『李下に冠は正さず』、すなわち『疑われるようなことをするな』です。
自分の存在に自信がないと
話を戻します。自分の存在に自信がない人は、2つの考え方に至ります。
①他者は自分をバカにする(自分の存在を軽んじる)人ばかり。
害となる、いない方がいい存在です。
②他者は自分と同じように存在価値がない人ばかり。
無意味である、いなくてもいい存在です。その結果、相手の存在を尊重しない態度をとってしまうことになるのです。
それが、他者の生命を尊重しない行為につながってしまうのです。
私たち教師の仕事が非常に大きなものであることの意味がここに一つあるのです。
「だめだ!」と叱るのはいいでしょう。善悪を教えるのは当然です。
その際に、厳しい言葉で指導することも必要になるでしょう。でも、同時に、または、他の機会に、必ず“あなたは素晴らしい存在であること”を伝えなくてはならないのです。
そうしないと、その子どもは自己肯定感をもてない存在になつてしまいます。
①②のように、結果的に他者を排斥することになりかねません。
自他の生命を尊重する態度の育成のために
子ども達を変えることのできる教師は、子ども達の隠れている長所、目立たない長所を見つけてしまう力があるのです。そして、それを本人に気づかせ、大きく伸ばすことができるのです。
そんなの簡単だと思っていませんか?お世辞やごまかしは、子ども達はすぐに見透かします。
本当にすごいとか、素晴らしいと教師が心から思わないとだめなのです。
子ども達が本来もっている長所を的確に見抜き、心からそうだと感じる力がないと一見クラスはうまくいっているように見えても、問題はいろいろと起きてきます。
保護者からの信頼も勝ち取れません。子ども達の、教師に対する信頼は、子ども達の言動に全て出るので、保護者にも伝わってしまうのです。
どんなに友達に嫌われている子でも、周りに問題と思われている子でも、教師に突っかかってくるような子でも、 必ず素晴らしい長所をもっています。それを心から素晴らしいと思える方法はどうやって獲得すればいいのでしょう。考えてみてください。
驚かされるのが、担任している子どもの悪口を平気で言える教員がいることです。子どもの悪口を職員室で聞くことがありますが、それは自分の指導力がないせいだとなぜ気がつかないのでしょう。
“指導が大変”と悩むことと、“あの子はどうしようもない”と悪口を言うことは天と地ほどもちがうことです。
自己肯定感がある人は、人は必ず良くなる、変われると思っている人なのです。
子どもはダメだとか変わらないと思っている人は、自分の力や自分の存在に自信がない人なのです。だから、子どもも変わらないと思っているのです。
私は、どんな子どもを担任しても変わらないと思ったことは一度もありません。これは初任からずっとそうです。
指導すればどんなに大変な子も必ずよい方向に成長しました。
努力や経験の積み重ねで、変わることができるのだという確信が、担任した子どもにも反映されてくるのでしょう。どんな人にもいいところと悪いところは必ずあります。人を変えていくには、良いところに目を向け、本人が気がついていない長所に気づかせたり伸ばしたりすることが重要なのに、悪いところにだけ目を向け、そこだけを意識させ攻撃する…、それで人を伸ばすことができるはずがないのです。
「人は価値のある、意味のある存在だ、自分と同じように!」
「今は自信がないかもしれない。欠点が多いかもしれない。だけど、未来は違う。自分と同じように!」
人は現在の自分をもとにして、他者を評価することが多いです。だから、自己肯定感の強い人は、他者を大切にします。いつか、今の自分と同じようになることができる。人って捨てたものじゃないと。
しかし、自分を好きになれない人、自分に自信が持てない人、「自己否定感が強い人」は、自分のやることなすことすべてが意味がない、やっても仕方がない、どうせだめだと思いがちです。
自分の存在すら軽んじてしまうのなら、 他者の存在はもっと意味のないものと捉えてしまいがちになります。
自己を否定する者は、他者の存在も否定してしまうのです。ひどい時には、人を傷つけてしまうことも、人の命を奪うことまでもしてしまうのです。
ここまで述べればわかると思います。自他の生命の尊重する態度の育成とは、すなわち「あなたは大切な、かけがえのない存在なんだよ」ということを感じさせる指導をしなくてはならないのです。 すなわち、
「あなたのやっていることはすべて未来につながることだ」「あなたの行動に意味のないことはない」「あなたも必ずできるようになる」
それらを常に言い続けることが必要です。自分を素晴らしいと思わせ、それを実感させるような指導の積み重ねをしていかなくてはなりません。そして、言葉だけでなく、しっかり結果も示していかなくては なりません。
ほめてもらい、認めてもらうだけでは足りません。いくらほめてもらっても結果が出せないと「ほら、やっぱりだめだった」と感じてしまうのです。意識づけと達成感を与えられる指導が、私たち 教師に課せられた使命なのです。