外国人児童の教育
外国人児童の教育で問題になるのは、ことばだけではない。社会や宗教、習慣などの異文化に対する理解が必要となる。自分たちの学校教育に適応させることを重要視する同化主義教育を行うと、外国人児童生徒がそれまで生活していた文化や社会などを否定することに繋がる危険性があり、アイデンティティ確立に大きな支障をきたすことになってしまう。
そのため、学校のルール・きまりごと・文化や考え方の違いを教えることが大切であるが、そのとき、外国人児童が疑問に思うことがあれば、日本ではこういう文化があり、考え方があるから、守る必要がある、と納得いくように丁寧に説明をするよう配慮する。
留意点
その他の児童に対して学校教師として最も気遣うことにひいきがある。教師はある児童に対してひいきしていると思わせないために特定の児童を目立たせないように配慮するが外国人児童に同様の考えを当てはめることは非常に危険である。つまり、このことが同化主義教育につながることがある。
すでに述べたように異文化で育った外国人児童に日本人のルールを押しつけることは、その人となりの人格を否定することにもつながる。許容できる外国人児童もいるであろうが、かなりの負担と苦痛を強いることになることは想像に難くない。
だからと言って全てを許容し、事前の指導を何も行わず、受け入れのみを行うと羨望感情をもった児童が現れることも確かであろう。「どうしてあの子だけ」という感情からくるトラブルが起こる可能性をはらんでいる。そこで、外国人児童に対しての区別待遇の容認が必要となる。区別待遇とは違いを違いとして容親し、それを優劣と結びつけない待遇である。
異なる文化、言葉をもつ外国人児童を日本人側(多数派)に同化させるのではなく、違いを容認するという特別ルールを全員で確認しておく必要がある。そして、違いを違いとしてお互いのありのままを受け入れる姿勢が外国人児童生徒の教育には必要である。
このことは外国人児童に対してだけでなく、日本人児童にとっても思いやりの心や個性を育成する効果があると思われる。
異文化コミュニケーション能力
日本人児童に対しても、多様な文化を持つ人々相互の人権尊重を基盤に、異なる文化や生活習慣、価値観に対する理解を図り、自国の文化や歴史を尊重する態度を培うとともに、自分の考えを適切に表現し、立場や意見の異なる人々と協力しながら、多様な文化を持った人々と共に生きていく異文化間コミュニケーション能力を外国人児童生徒との関わりの中で育て、将来の生活・今後の人生においての応用面として、外国人と豊かに共生していくための資質や技能を身につけさせることが重要である。日本の文化・生活習慣をただ外国人児童生徒に教えるだけでなく、外国人児童生徒をその出身母国の教師として位置させ、違いを違いと認識させるため、全体の統一意志として、学ぶ姿勢を備えるよう配慮も必要である。
外国人児童生徒の学校・日常生活において、周囲の人間・言語・文化等すべて今までと異なる生活が始まる為、周囲の思っている以上の心理的ストレスが働くであろうと思われる。そのため相互の交流機会を多くし、仲間づくりを支援する活動を積極的に行い、互いの意思疎通だけでなく、安心できる(心理的ストレスの少ない、或いは全くない)状況になるべく早くさせることが重要である。
学級になじませるために
早く学級になじませるためには、教師としてできることは、できるだけ学級で過ごす時間を多くするよう心がけ、児童間のコミュニケーションを円滑に進められるようフォローの体制を整えることや、言葉がまだわからない段階でも体育や美術などの活動ははじめから学級で受けさせ、言語的な隔たりある場合でも、その他の手段でコミュニケーションがとれるような内容において相互的に理解を深める場を設けることであると思う。
つまり、転入後すぐに個別で日本語の指導をするのではなく、どのような支援が必要か学級での様子を観察して決める。
ただし、早く学級にとけ込ませるためにも他の児童とコミュニケーション可能なレベルの日本語能力を早く習得させることが必要はある。
外国人児童生徒が疑問に思ったことを聞ける、そのような周囲の関係と言語能力を育成することにより、教員の手を借りずとも、周囲の児童を教師として数々のことを学びとると共に、上述のような外国人との関わりを通しての相互の能力の育成を期待することができる。その際、知らず知らずのうちに日本の文化や学校のルールを押しつけていないかを十分に考慮する必要がある。日本での生活も大切だが、母国での文化や生活も大切であることを重々理解しておかねばならない。